妻の母親の実家が岩沼市で、周辺の被害が甚大だと聞いていた。ネットなどで調べると、岩沼の南に位置する亘理町も被害がひどく、ボランティアを募集していた。聞いたことのない町だった。テレビ等で多く報道されている被災地は、ボランティアが充足しているという情報もあり、あまりポピュラーではなかろう亘理町に行くことにした。
鎌ケ谷から行くと高速を使っても5時間近くかかってしまう。日帰りは困難だ。前日は妻の実家の加須に泊まる。朝5時に出発。東北道をひた走り白石で降りる。一般道を走っていると、空き地に真新しい車が積み上げられている。被災した車の一時保管所との張り紙が。コンビニに寄ったが、品揃えは千葉となんら変わらない。物資は足りているらしい。亘理町ボランティアセンターまで3時間半ほど、8時30分頃到着した。
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(C)k.harikai 作業着姿のボランティアの人たちが集まっていた。がらがらと猫車が行き、スコップや鋤簾を担ぐ人々、指示や確認の声が飛び交う。物々しい、活気がある。まずはボランティア登録をする。名前と住所を書くだけだ。ガムテープに「ハリカイ」と書いて服の目立つ部分に貼り付ける。最初から汚れても良い服装で行ったので、長靴を履くだけで準備万端ととのう。わたしのようにTシャツにズボンというボランティアはたくさんいた。ただ、これから行く人たちにはツナギや作業着といったそれらしい服装で行くことをお勧めする。これからは、暑さ対策もした方が良いだろう。
登録が終わると並べられた椅子に座り仕事が振り分けられるのを待つ。病院や銀行の待合いのようなものだ。すでに20人くらいが待っていた。マッチングといって、被災者の要望と、我々ボランティアが望む仕事をすり合わせる。わたしはお役に立てるなら何でもやるつもりだが、どうせなら力仕事がしたかった。逆に、女性は避難所や遺留品の整理などを希望していた。
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(C)k.harikai 15分ほど待って、わたしは個人宅の泥だし、床板剥がしのグループに配属された。メンバーは10人。その中から一人リーダーを決める。現地までの移動手段はマイカーだ。募集要項でもマイカーで来てくれると助かる、と書いてあった。電車で来ているボランティアもいるので、3台に分乗して出発。軽トラで来てくれた人がいて、その車にスコップ等の資材、猫車三台を積む。
現地の番地は教わるが、現地まではボランティアさんのマイカーのカーナビを頼りに行く。みんな不案内な土地なので、手探り状態でどうにか到着。亘理町には海から2キロほどのところを高速道路が通っている。高速道路は土手のように作られていて、この高速の山側と海側で町の明暗が分かれた。高速より山側にある地域は海水と泥の進入ですんだようだが、海側の地域は津波をもろに受けていた。わたしたちの担当は山側の地域だったので、家屋の損傷はなかった。ただ、70cmは海水につかっていたので、泥が堆積したり、畳や床板がやられていた。大量のゴミ袋が出されており、半透明の袋の向こうに任天堂ゲームキューブなどの家電が見えた。水でやられたのだ。
わたしはまず床板を剥がす部隊に配属され、8畳ほどの床板を剥がすのだが、これが一筋縄ではいかない。床板は畳の下に敷いてある板である。素人がバールやハンマーをもってしても容易に剥がせるものではないのだ。中央部分は剥がせたが、端の部分は、家の柱や敷居に食い込んでいて、釘をぬくことすらできない。仕方なく、剥がした中央部分から泥を出すことにした。
小休止の時、ある若いボランティアさんが飴をくれた。糖分補給だという。しかし、個包装になっている袋にはノンシュガーと書かれていた。飴をくれた人は自分の周囲の3、4人にしか配らなかった。年配のボランティアさんから、こういう場合は全員に配るように、と注意されていた。
床板剥がしとその中の泥出しが一段落し、家の裏手に回り泥だし。猫車10台分くらいの泥があっただろうか。この日は快晴で風が強かった。泥の表面は乾き、砂埃が全身を襲う。マスクとゴーグルは必需品だ。「晴れてる日は砂埃がつらい。雨の翌日は泥が重たくてしょうがない。どっちもどっちだ」とベテランは言う。
昼食時にはビニールシートを敷き、持参した昼食を摂る。わたしの食料は高速のSAで買ったおにぎりとサンドウィッチだ。登山用ガスコンロでお湯を沸かしてカップ麺を食べている人もいれば、フランスパンをまるまる囓っているだけの人もいた。一緒に食べた二人はそれぞれ京都と仙台から来ていた。仙台周辺はすでにボランティアが充足しているので、ここまで来たと言っていた。京都から来た人も、最初仙台に行ったが、ボランティアが充足しており、ここを探し当てたとのこと。京都の人は妻と一緒に来たと言う。交通費だけで往復7万はする。これをどうにかして欲しいと困っていた。わたしは土日高速千円を利用したから、ガソリン代も込めて7000円ほどだった。遠くから来る人はそう簡単には来られない。もっとも遠い人でシンガポールから来たという人が居た。シンガポールはかなり稀だと思う。でも、関西や九州という人はざらにいる。民主党は今こそ高速道路を無料にするべきだ。ETC割引は即刻止めよ。そして、ボランティアセンターではガソリン満タン無料券を配るべきだ。
昼食後は細かい作業になった。大体の泥は掻き出したので、植木の周辺を小さなスコップで考古学者のように泥を除去していた。3時半終了の予定が、皆で効率よく作業した結果3時に終了した。
終了時にチームの人に撮ってもらった。わたしの後ろに積み上げられているのが掻き出した泥。
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(C)k.harikai ボランティアセンターにもどると、ボランティアのための炊き出しがされていた。芋煮だ。肉がたくさん入っていてかなりうまい。チームメートと雑談をする。やっぱり日本人として居ても立ってもいられなかった、とある人はもらしていた。大体みんなそういう思いで飛び出してきた人が多い。かく言うわたしも金曜日に思い立って日曜日に行った。健康であり最低限の用意をして、とにかく行けば役に立てる。迷っている人はとにかく行くといいと思う。PDCAサイクルは駄目だ。これからはDCAPの時代だ。
炊き出しされた芋煮
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(C)k.harikai 帰りがけに被災した地域を見た。街は食い千切られた獣のグロテスクさで満ちていた。高速道路の土手がこの街の明暗を分けていた。
田んぼの中に車や船が散らばっている。
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(C)k.harikaiグーグルのストリートビューと比べると、津波が景色をどう変えたかよく分かる。
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(C)k.harikaiもちろん工場の中に家などはなかった。
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(C)k.harikai右の方に写っている家々がない。
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(C)k.harikai「止まれ」の標識は、今や水平線を望む交差点に立つ。
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(C)k.harikai被災が激しい地域では、コンビニなどは営業していない。
辛うじて難を逃れた家に住む人々も、多くは移動の足を失っている。
そこで活躍していたのがこれだ。初めて見た。
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(C)k.harikai海岸線まで行ってみた。コンクリートの防波堤が千切れている。どういう力が働いたのか? 想像できない。
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(C)k.harikai写真を撮っている男性がいた。車ナンバーは関東だった。凄いことになってますね、と話しかけると、
「涙が出てくるんだ」と彼は答えた。同感である。
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(C)k.harikai県道38号を南下していくと、突然道がなくなる。いや、陸地がなくなっていた。
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(C)k.harikai被災の状況を目の当たりにすると、何をやらねばならないか、この国に何が必要か、
そういったものが沸々と胸の奥にわいてくる。
ただ、現地に行く人は怪我等に気をつけた方が良い。なんの予告もなく道路がなくなっていたり、
マンホールのふたが外れていたりする場所だ。平時だったら立ち入り禁止の柵が張り巡らされて
進入できないような場所も簡単に入れてしまう。
マンホールのふたは普通に外れている。
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(C)k.harikai半分崩れている道。
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(C)k.harikaiどう考えても普通ならば立ち入り禁止になる堤防を散歩する親子。
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(C)k.harikai載せきれなかった写真はココ。
http://photozou.jp/photo/list/966053/4323247